こんにちは!佐世保スタッフのYuです。

長崎県は、毎年2月は長崎ランタンフェスティバルで大賑わいです。
多くのETメンバーも住んでいる佐世保市は、会場である長崎市から車で1時間以上離れていますが、佐世保駅にもランタンが飾られたり、佐賀県の武雄温泉や嬉野温泉の駅などにもランタンフェスティバルのパンフレットやポスターが飾られているほど、ランタンフェスティバルは大きく宣伝されていました。

ランタンフェスティバル会場の様子

私が行った時にはJPCZという最強寒波が来ていたので、雪景色のランタンフェスティバルとなり、例年よりかなり空いていたそうです。皇帝パレードが中止になったり、天気の影響が出てしまった今年のランタンフェスティバルですが、寒くても雪でも、見に行く価値のある幻想的なひとときを過ごすことができました。

長崎ランタンフェス 1
2025年は「薬屋のひとりごと」のコラボランタンがありました

悪天候だったこともあってか、観光タクシーのドライバーさんも一般のドライバーとして駆り出されていたようで、ある一人のドライバーさんが、長崎市の歴史について教えてくれました。

オランダ坂やグラバー園、多くの教会などヨーロッパの影響が色濃く見える一方で、長崎市には現在も華僑と呼ばれる中国人の方々が多く住まわれています。長崎市には中国領事館があり、領事が退任するときには、テレビで「長崎のみなさんありがとう」という挨拶があったり、長崎市内では領事館発の中国語のラジオを聴くこともできるそうです。政府同士の国交と関係なしに、長崎市は独自ルートの中国との外交を長崎の港ができた頃から大切に守られてきました。
日本最小の中華街を持つ長崎市のランタンフェスティバルが、「新地中華街のイベント」ではなく「長崎市のイベント」として街を挙げて開催されているのも、この独自ルートの外交によるものだそうです。

修学旅行でも定番のグラバー園

そもそもこのようにさまざまな文化が共存する都市として長崎市が成立しているのも、長崎港の成り立ちにその歴史は遡るそう。
港でもなんでもなかった長崎の土地に、ポルトガル人が港を作って商売したいと言い始め、そのために全国津々浦々から集まった日本人が住み着いて長崎港は始まったそうです。タクシーの運転手さん曰く「誰が昔から長崎にいたかなんてわからない、みんなよそ者だったのが長崎。うちはうちのやりかたでやるからっていうのが通じないから、共存していたんだろうね」とのこと。まさに、文化と人が「ちゃんぽん」されたことこそが長崎のアイデンティティだそう。

長崎新地中華街のちゃんぽん

2021年に開港450年をむかえた長崎港。
外国の貿易船をむかえ、多様な人々の文化を受け入れ、原爆の被害からも立ち上がってきた長崎。そんな長く独特な長崎の歴史を知った上で巡るランタンフェスティバルは、一層感動的でした。

ETの一員として、日本在住の外国人のお客様から日々ご依頼をいただくなかで、本当に長崎の皆さんのあたたかさに感謝でいっぱいです。ひょんなことから長崎のルーツを知ることができて、今後も長崎をはじめ九州の魅力をたくさん伝えていきたいと思いました。